嫌なことから逃げてしまう弱さ

 生きていく中での出来事はいいことばかりではありません。時には嫌なこともあります。嫌な仕事、嫌な授業、嫌いな人に会わなければならない、宿題をしなければならない、残業をしなければならない、不快な思いをしなければならないなど数え上げればきりがないかもしれません。また、嫌な度合の程度も様々でしょう。ただ、手間がかかるので面倒なだけな場合もあるでしょうし、肉体的にも精神的にも耐えがたい辛い思いをするので怯えている場合もあるでしょう。
 嫌なことに対する選択肢は2つあります。一つは嫌でも何でもそれをするということ。もう一つは先送りしたり、放棄したりすること。ひとはするかしないかの選択を迫られるのです。そのとき、ひとは判断する基準に照らすことでしょう。すべきことかしなくてもいいことか、すれば自分のためになるのか、しなければ自分の不利益になるのかと。
 もちろん、嫌なことはしなくないことだから、それが、する必要もなく自分の利益にならないことならしなくても当然です。そういうことは嫌々するより、きっぱりと断るべきでしょう。
 しかし、しなければいけないことはそうはいきません。やりたくないと言う気持ちを押し切ってやらなくてはいきません。でも、その気持ちに負けてしまうときがあるかもしれません。怠け心に負けて宿題をやらなかったり、嫌な行事や仕事を避けるために仮病を使ったり、無断で休んだり、引きこもったり。そんな時、ひとは自分を正当化しようとするかもしれません。勉強なんてしなくていい、遅刻したってどうってことない、怒られるのを我慢しさえばいいんだから何てことない、自分がいなくても問題ない、自分に任せるのが悪い、あいつが悪い、自分は悪くないと。それが、先のことを考慮しない目の前の嫌なことから逃げるためだけのその場しのぎの不合理な考えだとしても、自分自身を説得しようとするのでしょう。そう、ただ、自分の弱さに甘えて逃げる自分の言い訳を探しているのです。
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