傾きが負
〜known secrets and unknown common senses〜
第7話
次の日は隣の変な男の退院の日だった。男は松葉杖をついて立ち上がり、美夏の方を向いた。
美夏も男の方に目をやった。男は美夏に向かってこう言った。
「傾きが負なら、座標を回せ。」
美夏には全く意味がわからなかったが、軽く会釈をした。男はそのまま去っていった。
その夜、美夏は男の言った言葉をノートに書いてみた。
〜傾きが負なら、座標を回せ。〜
しかし、肝心の意味がさっぱりわからなかった。
その後しばらくして、美夏が退院する日がやって来た。膝から下のギブスは取れていなかったので、手動車椅子での退院だった。
医師から退院の許可を出された時、美夏は、開放感と同時に不安を感じた。この入院生活で遅れた受験勉強を頑張ろうという意気込みと2ヶ月を切った受験までに間に合うのかという不安があった。考えれば考えるほど、後者の方が強くなっていった。
母と一緒に病室を去らんとしたとき、美夏はあの男がいたベッドをちらりと見て、あの言葉を思い出した。しかし、未だに意味がわからなかった。
病院の外に出ると、世界がいつもと違って見えた。車椅子では視点が歩行者より低いのだ。母に押されて歩道を進んだが、段差の振動が気になった。そして、狭い歩道で身をかわす歩行者や自転車にすまなく思った。不愉快な顔をされるのではないかとびくびくしていた。
自宅に戻ると、母が腕を振るって夕食を作ってくれた。美夏にとって家族との食事は数週間ぶりだった。自分の意志とは関わらずに、目には温かい液体がたまり、まばたきをすると、味噌汁の中にその滴が落ちた。
「美夏、どうしたの?」
母は尋ねた。
「ううん、なんでもない。」
と答える美夏に、弟は冗談混じりに言った。
「味噌汁の味が薄かったんでしょ。」
美夏の顔から笑みがこぼれ、一同は楽しい時間を過ごした。
第8話
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