傾きが負
〜known secrets and unknown common senses〜
第19話
「強く正しく生きることは、ときに周囲との隔絶を求めた。自分の心をコントロールすることはできても、他人の心を動かすことは簡単ではない。人間は意識をしっかり持っていないと、つらいことから逃れ、楽な方へと流れてしまうものだ。一度、染まってしまったら、そのしみはなかなか落ちないだろう。
そんな人々を目にすると、怒りや憎悪よりむしろ、無力感と孤独を覚えるんだ。そうした落ち込んだ状態に長く居ると、心の中の子悪魔が『俺に全てを任せてくれれば楽にしてやるぞ。』とささやくんだ。ひびの入った心に、汚れたものがじわじわと染み込んで、芯までも侵してしまいそうになる。彼らのように、逆らわずに従ってしまった方が楽に生きていけるのではないか、そんな気がしてくるんだ。
しかし、心の住人は言った。『裏切るのか、もし去っていくのなら永遠の別れになるぞ。』と。一度、服従してしまうと、もう二度と戻れないだろう。一生、すさんだ心で生きていくことになる。染まってしまった自分はきっと、そんな自分を受け入れてしまうのだろう。だが、そんな自分は今の自分が最も嫌うものではないか。そう自分に言い聞かせていた。
ある時、一人の教え子が相談に来た。人生がつまらない、自殺を考えているというのだ。俺はその行為が間違っていることをひたすら言い聞かせた。彼はそれを聞いて、納得した様子でにこやかに去っていった。俺は彼が思いとどまったのだと思っていた。しかし、彼は逝ってしまった。そのときから自分を含めた人間というものが信じられなくなった。深い絶望にさいなまれた俺は仕事をやめ、今ここにいる。
しかし、君だけは全く信じられないわけではない。だから、こんな話をしたんだ。」
後藤はそう言うと、美夏の方を眺めた。美夏はうつむいていた。時は二人を置き去りにして流れ続けていた。
最終話
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