傾きが負

〜known secrets and unknown common senses〜
第17話

 美夏は空の弁当箱を持って、すごすごと帰宅した。美夏は弁当箱を洗いながら、自分のふがいなさを嘆いた。なんだか、1年前の弱気な自分が戻ってきてしまったようにも感じられた。自分自身を見失いそうになった美夏は、苦しいことがあるといつも見ているあのノートを広げた。
〜傾きが負なら、座標を回せ。〜
 今日の出来事も決して無駄ではない。きっと前進しているはず。美夏はそう自分に言い聞かせた。
 次の日の夜も、美夏は弁当を持って後藤の家を訪れた。後藤はまた無言で弁当を平らげるだけだった。美夏もただ黙って後藤の食べる姿を眺めるだけだった。しかし、美夏には焦りはなかった。美夏は次の日もその次の日も後藤に夕食を運んだ。
 そして、1週間が過ぎたとき、後藤は弁当を食べ終えたところで口を開いた。
「なぜ、君は俺にこんなに優しくするのか?」
「あなたのことをもっと知りたいんです。あなたがなぜこんな風になってしまったのか。何があったのか。あなたの過去が知りたい。あなたが何を考えているの知りたい。そして、私のことももっと知って欲しい。」
 美夏は身を乗り出して訴えた。
「そうか…、でも俺は君のことをこれ以上知りたくない。」
「なぜですか?」
「相手を深く知れば知るほど、汚い面が見えてくる。初めの良い印象も幻滅によって崩れ去り、後には絶望感と不信感しか残らない。もし君を深く知ってしまうと、君を嫌いになってしまうかもしれない。俺はそうなることが怖いんだ。」
「そんな…。」
 美夏はそう言って、塞ぎこんでしまった。
 しばらくの沈黙の後、後藤はこう言った。
「君を信じてみたい気持ちはあるのだが、そうすることができない。昔の俺だったらそうしていたのだが、今は…。今日はもう帰ってくれ。」
 帰宅した美夏はどうしようもない無力感に襲われた。ただ、寝転がって天井を見上げることしかできなかった。
第18話
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