怒りと憎しみ


 生きていく中で怒りを覚える場面は幾度となくあります。些細なことから大きなことまで。ときには勘違いによって怒りを生じることもあります。怒っている時にとる行動は怒りをぶつけるか、ぶつけないかの2通りです。
 あなたが怒りをぶつけるとき、それは何のためですか。正しい行為ですか。過ちを止めるためなら納得できますが、ただ、気が済まないからというのは正当な理由ですか。過ちを正すために罰を与えるのは叱る行為にあたります。過ちには気がつかないより気がついた方がいいのですから、相手のためを思った愛のある行為とも言えます。しかし、「目には目を歯には歯を」という考え方に基づいて、自分の気を晴らすために人を傷つけるやり返すのは自らが同じ過ちを犯すということに他ならないのです。相手を憎んで怒りをぶつければ、それは新たな怒りと憎しみを生み出すことになります。憎悪が大きい程、残虐で過剰な攻撃をしてしまうでしょう。復讐の繰り返しによってもたらされるものは、無数の傷と残虐で無慈悲な人間達です。相手を傷つけて罪悪感を持たない人は残酷です。そういう人は過去の過ちをいつまでも咎め、反省を認めようとせず、改心した人までも傷つけようとするでしょう。また、怒りをぶちまけることで罪のない人々にさえ牙を剥くかも知れません。
 怒りをぶつけない場合、例えば、相手に悪意がなく、被害も一過性であると認識すれば、少しの我慢で怒りも収まることでしょう。しかし、生じた怒りをを憎しみと恨みに変えて持ち続けるとしたら、あなたは不幸です。相手に憎しみを抱えているがゆえ、普通なら気にならないちょっとしたことでも怒りを感じ、憎しみを増幅させていき、憎むことで心をすり減らして、もっと大切なことをすみに追いやってしまうことでしょう。
 どちらにしろ、負の感情で心を満たしていては、幸福ですら素直に喜べないでしょう。
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