clumsy determination

 人は自分の意図しない形で時間を費やすことを嫌うだろう。大雪で運転が止まった交通機関の前に立ち尽くすとき、意図せぬ時間の浪費に怒りさえ覚える人もいるだろう。私もその一人だった。どんなことに対しても予定より多くの時間を費やすことに我慢がならなかった。如何に早く物事を片付けて、時間を余らせるにはどうしたら良いかと考えることを好んだ。私にとっては、限られた自分の時間を効率的にやりくりすることが重要なことであった。
 しかし、人は自ら貴重な時間を自分の利益にならないこと、例えば、自分以外の誰かのために費やすこともある。肉親や配偶者や恋人、隣人ひょっとすると見知らぬ人にまで。その頃の私には人が何で自分にとって対価のないものに尽くす気になれるのかが理解できなかった。
 そんなあるとき、私はある人について一つの小さな過ちを犯した。それまでなら、何でもないことのように思えたはずのことだったが、その時は違っていた。私は後悔の念にとらわれた。悩んだ末、そんな過ちを2度と繰り返さないようにと、私はある決意を固めた。そして、私はそのために自分の時間を犠牲にすること、失うことを躊躇することはなかった。強い気持ちに裏付けられた意志と言うものの力に動かされていたからだったのだろう。
 人は何のためにたった一つの人生を構成する貴重な時間を使っていくのだろうか。金を稼ぐためか、愛のためか、子孫のためか、文化のためか、人類のためか。明確な目的を意識したときに異なる現状に費やしている時間が無に等しいのではないかという思いがときどき頭をよぎるのである。
第17話
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